呼吸臨床

【対談】日本語論文の意義と重要性(1)

工藤翔二

(編集特別顧問 /結核予防会理事長)


杉山幸比古

(編集委員長/練馬光が丘病院呼吸器COPDセンター長)


収録:2017年6月23日・結核予防会会議室


TABLE TALK: The significance and importance of Japanese articles (1)
Shoji Kudoh, Yukihiko Sugiyama


呼吸臨床 2017年1巻1号 論文No.e00001
Jpn Open J Respir Med 2017 Vol. 1 No. 1 Article No.e00001

DOI: 10.24557/kokyurinsho.1.e00001


掲載日:2017年10月2日


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母国語論文の重要性を歴史から紐解く

杉山:本日は「日本語論文の意義と重要性」ということで話したいと思います。

まず、私自身の経験からいいますと、私が医者になって初めて書いた論文は日本語論文で症例報告でした。リファンピシンの副作用についての論文で「結核」という雑誌に掲載されました。そのとき、研究室の兄貴分、先輩としておられた工藤先生に手取り足取り執筆をご指導いただきました。そのとき27歳だったのですが、40年後にこのような形で工藤先生と論文について話そうとは夢にも思いませんでした。

最初に日本語論文の意義ということについて、工藤先生お話しいただけますでしょうか?


工藤: 1990年代あたりに急速にインパクトファクター(IF)が取り上げられてきて、IFはサイエンスやネイチャーなどの雑誌ですと30くらいついていますが、日本語論文などは1以下です。世界的に雑誌がどのくらい読まれるかが学術の成果、評価の指標になっていったわけですね。そんな中で日本語論文が軽視されていったのですが、逆に言いますと日本語の論文が書けないで、なぜ英語の論文が書けるのかということもあります。

工藤翔二先生


 母国語の論文の重要性は、昔から言われています。日本の患者さんは日本人です。日本語で喋っているわけです。当然、英語で診察するわけではない。そして、医師が論文を読もうとしたときに、日本語の方が読みやすいですよね。


 「呼吸臨床」に今後掲載予定の『内科新説』は、安政年間にできた書物ですが、実はイギリス人のベンジャミン・ホブソン人が上海で中国語で書いたものです。もちろん中国の医師を対象としたものですが、書かれているのはイギリス医学です。上海で出版された翌年に返り点などを打って、日本で出版されました。この本の位置付けについて酒井シズ先生に聞いたことがあるのですが、日本でも相当売れたそうです。それは、当時のお医者さんは蘭学を勉強して蘭語を読むよりは漢文を読むほうがはるかにわかりやすい。しかもそれはイギリスの医学だった。だから、よく読まれたらしいのです。ああ、そういうものなんだなあと。

日本語の論文は、私自身は決して価値がないというものではないと思っています。


 ノーベル賞受賞対象も英語でなければだめだということは言われていない。母国語論文が重視されたのは、1990年代にソビエトが崩壊して東欧諸国が西欧の中に組み込まれていったときに、東欧各国のお医者さんたちが英語だけでは困ってしまった。ロシア語教育しか受けていないので。そういう中で、1970年代に発足した国際医学雑誌編集者委員会(International commitee of medical journal editors:ICMJE)がacceptable secondary publication、要するに受容できる二次出版、母国語で書いてあるものを英語にするという、先にもちろん英語でも出してもいいのですが、これを認めようじゃないかという考え方を出したんですね。そのときの委員会には、当時、医学教育を一生懸命やっていらっしゃった出月康夫先生が出席されたんですね。


 そして出月先生が日本に持って帰られてsecondary publicationと盛んに言われました。私も呼吸器学会の雑誌編集委員長をやったときに、アジア太平洋呼吸器学会(APSR)が出しているRespirologyとSecondary Pulicationの協定を結んだんです。呼吸器学会雑誌に出した論文をSecondary publicationとしてRespirologyに投稿しても二重投稿ではないと。これは二次出版であると。二次出版の規定はいろいろあって、国際的にも、日本でもいろいろあると思いますが、双方の雑誌が承認すればできるわけです。呼吸器学会誌とRespirologyの関係を動かそうとしたときに、Respirologyのほうに収容スペースが足りない、Secondary Publicationまでは収容できないとなりました。Primary publicationでめいいっぱいだと。実際にはこの協定は有効に働きませんでした。考え方としてはいいと。


 例えば中国だって同じだと思いますよ。全部英語だけでは困っちゃう。母国語がないと困る。母国語で先に出して英語にすることも認められなければいけない。皆が読める、理解できるためには母国語のものも大切にするというのは、非常に重要なのではないかと思います。

日本語の雑誌が撤退していくというのはいいことではありません。その分、皆さん英語で読んでいますか?そうではないでしょう。そうなると逆にレベルが落ちてしまいます。