【連載】呼吸との出会いと呼吸器との出会い:個人的履歴と呼吸器臨床における「呼吸」の意義


第1回 呼吸との出会い

貫和敏博*


*東北大学名誉教授


[Essays] A tale of two domains: "breathing movement" and "gas-exchange/lung science" - A personal history and the significance of breathing in the respiratory medicine 

No 1: Encounter with the breathing method (Zen) in my early life


Toshihiro Nukiwa*


*Professor Emeritus, Tohoku University


呼吸臨床 2017年1巻1号 論文No.e00023
Jpn Open J Respir Med 2017 Vol. 1 No. 1 Article No.e00023

DOI: 10.24557/kokyurinsho.1.e00023


掲載日:2017年10月2日


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 自分が生涯の専門とする領域は何なのか?医学はモラトリアムの期間が長いので,いろいろな試行錯誤があり得る。その試行錯誤はまさに個人の人生の姿そのものであるのだろう。「呼吸」と「呼吸器」という言葉を使い分けるのは,私の人生の履歴として,明確に違いがあるからである。「呼吸器」は肺を中心としたhealth and diseaseとして臨床的色合いを持った言葉である。医学を志し,肺の病気を専攻する一般の呼吸器科医にとっては,「呼吸」という用語で,呼吸中枢調節異常や,COPD口すぼめ呼吸などを思い浮かべることだろう。

 しかし「呼吸」の認識は言うまでもなく,歴史的にはもっと古い。「呼吸器」としての肺の解剖と機能が認識されるはるか以前より,身体への空気の出入として,日常的に意識されるのが「呼吸」運動である。呼吸の停止は死を意味する。呼吸の開始は胎児から乳児への切り替え,誕生となる。

 不思議なことに「呼吸」の認識は,地球上の文化圏で大きな違いがある。現在世界の概念形成や思考の基盤となるギリシア・ローマ,あるいはヨーロッパ・ルネサンス期に,「呼吸」運動を特に取り上げた体系はない(発声法と呼ばれるものはあるが)。おそらく存在はしたと考えられるが,体系としては残っていない。しかしインドと中国の文化圏では,もちろん相互交流はなされていたが,独立して「呼吸」運動が身体訓練,健康法として取り上げられている。1972年発掘された,紀元前2世紀の馬王堆漢墓に導引の行法図が発見されたのは有名である(図1)。これらはインドにおけるヨーガ,あるいは中国では道教の内丹から現在の気功,さらに禅仏教における座禅として現代につながっている。20世紀以降,これらは米国に広がり,最近10年,mindfulnessとして座禅の瞑想が全米で広がっている。ワシントンDCでのATS 2017で,留学時代を過ごしたBethesdaを訪れ,mindfulnessのネオン広告を見つけて驚いた。

図1 馬王堆漢墓に見いだされた導引図
実際の出土品と再現図。4行x11列で44の導引動作図。