" /> 【対談】呼吸リハビリテーションの可能性を探る■前編:日本における呼吸リハビリテーションの変遷■工藤翔二,千住秀明 |
呼吸臨床

【対談】呼吸リハビリテーションの可能性を探る
前編:日本における呼吸リハビリテーションの変遷

「呼吸臨床」創刊1周年記念
(連載「ここまでできる!実践・呼吸リハビリテーション道場」より)

工藤翔二

(結核予防会理事長)

千住秀明

(結核予防会複十字病院呼吸ケアリハビリセンター)

収録:2018年8月21日・都内某所

掲載日:2018年10月4日



©️Shoji Kudoh, et al. 本論文の複製権,翻訳権,上映権,譲渡権,貸与権,公衆送信権(送信可能化権を含む)は弊社に帰属し,それらの利用ならびに許諾等の管理は弊社が行います。


千住:複十字病院に赴任して4年目を迎えました。理想的な呼吸リハビリテーションセンターを作ることが目的でしたが,目標の7割程度は達成できたと考えています。まずは日本での呼吸リハビリテーション(以下,呼吸リハ)発祥の施設,複十字病院の歴史について,呼吸リハを交えて紹介していただけますか。


工藤:1939(昭和14)年,日中戦争が始まっている時期に結核予防会が設立され,戦後の1947(昭和22)年に結核研究所の付属施設として複十字病院は始まりました。当時は結核の全盛期ですから,現在の呼吸リハビリテーションも肺結核の患者さんの療養の中から始まったと言っていいと思います。最初は1920年代,薬がなく,助からない人が半分いたような時代に始まりました。肺の機能が落ちても,畑仕事や家事をすること自体が作業療法だったような時代です。作業療法が先です。理学療法は結核患者の手術後の後療法として始まったのです。日本では「リハビリテーション」という言葉は1956年に結核病学会の中で登場しています。ちょうど翌年に私どもの大先輩である島尾忠男先生がスウェーデンに留学され,その時に入手された『Physiotherapy in chest disease』という本があるんですね。これを帰国の船中でスウェーデン人の看護師さんに手伝ってもらいながら翻訳されそうです。『肺機能訓練療法』(図1)というタイトルで出版され,これが呼吸リハを纏めた最初の本だと思います。


図1  書籍『肺機能訓練療法』



千住:今でも結核研究所図書館に1冊だけありますね。


工藤:あのころはスウェーデン体操というのが流行っていていましたね。


千住:そうですね。当初は診療報酬にスウェーデン体操がありました。


工藤:手術前後の癒着を少なくしたり,手術後の肺機能の回復を少しでも早める目的で集団リハという形でもやっていましたね。


千住:呼吸訓練,排痰法,術後の胸郭の変形を矯正するプログラムでしたね。


工藤:そうですね。そういう結核の理学療法から始まり,その数年後の1963年に日本リハビリテーション医学会が設立されました。その時に清瀬に国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が設立されています。これは複十字病院の道路を挟んだ向こう側にあって,私がリハビリテーションに接したのはそのころなんです。


千住:そうなんですね。


工藤:当時,大学紛争で大学病院ではなく町の病院にいたのですが,脳卒中の患者さんがたくさん来ていたんですよ。目の不自由な按摩さんが患者さんに拘縮しないようにといろいろさすったりしていたんです。その頃,脳卒中の片麻痺の方は90%は立って歩いて帰っていくという米国の話を聞いて,杉並の浴風園に見学に行ったんです。その時に教えてくださったのが上田敏先生です。片麻痺の患者さんの麻痺側ではない健側にすごい力を入れさせていたら,麻痺側のほうの手が上がるのを見ました。その時にこれをデモンストレーションしてくださったのが伊藤直栄先生です。私は非常に驚いて,マジックじゃないかと思いました。そうしたら,「工藤君ね,錐体交叉をしていない脳神経があるんだよ,そっちを賦活させると麻痺側のほうがちゃんと上がるんだよ」ということを話をされて,私はリハビリテーションはサイエンスに基づいているということを初めて知ったんですね。この体験は強烈でした。




工藤翔二先生



 その後,呼吸器を勉強し始め,呼吸管理研究会が1980年にでき,1985年になると在宅酸素療法が保険適用となります。呼吸不全の患者さんのケアとして在宅酸素はとても重要なものになりました。同時に呼吸リハビリテーションについても勉強しました。呼吸管理研究会が日本呼吸管理学会になり,2006年に日本呼吸ケア・リハビリテーション学会(以下,呼吸ケアリハ学会)となりました。呼吸のcureじゃなくてcareです。ケアの重要性とリハビリテーションをつけて「ケア・リハビリテーション」という名称になったわけです。


 これと同時に在宅酸素療法の普及・啓発が一緒に行われていました。ペティー先生(Thomas L. Petty)とネッツさん(Louise Nett)が日本に来られて普及活動をやっておられました。その時代にわれわれは呼吸不全の患者さんたちをなんとか外に出したい,予後を改善したいという気持ちでやってきたんですね。私が複十字病院に行ったのが2008年でその頃理学療法科はあったのですが,中身を見るとほとんどが呼吸器の患者さんで脳卒中の方は少なかったのです。幸か不幸か,整形外科はありませんでした。そこで思い切って転換し,呼吸ケアリハセンターを作ったんですね。もちろん癌患者などのあらゆる疾患のリハビリテーションをやっていますが,中心は呼吸ケア・リハということなんですね。


千住:過去2〜3年の複十字病院のリハビリテーション料は呼吸リハが90%以上を占めています。10%未満が,運動器,癌リハです。東京都の医療機関で,呼吸リハがリハビリテーションの対象者が9割以上を占めている施設は複十字病院以外にはないと思います。


工藤:そうですね。呼吸ケアリハ学会で私も第12回(2002年)の会長をさせていただきましたが,医師以外で最初に会長を務められたのが千住先生なんですよね。理事会で第22回(2012年)を千住先生にお願いしようって,みんなで拍手で決めたことを思い出しますね。その千住先生になんとか複十字病院に来ていただけないかと,三拝九拝して,うまく気があって来ていただきました。そして今,複十字病院の呼吸ケアを展開していただいているんですね。


千住:工藤先生には,いい機会を与えていただいたと思っています。理学療法士の立場から呼吸リハの歴史を話しますと,先生がおっしゃったように結核の後遺症の患者さんたちを対象に理学療法が行われていたのです。当時はスウェーデン体操や肺機能訓練療法などが中心で,脳卒中や整形外科の理学療法料の1/2程度の診療報酬ため広く普及することはありませんでした。



千住秀明先生



 一方,呼吸分野の中核であった結核が化学療法の進歩により急速に減少し,酸素療法を受けるためだけに入院生活を余儀なくされていた患者さんに在宅酸素療法が保険適応されました。適応に当たっては,呼吸リハが推奨されたため,呼吸リハへの関心が高まりました。さらには,COPD患者の急増により,呼吸ケア・リハビリテーション学会(旧呼吸管理学会)の活動で,呼吸リハが急速に広まったんですね。2006年診療報酬改定で呼吸リハビリテーション料が認められ,急速に呼吸リハが普及しました。リハビリテーション料は脳血管疾患と運動器,心大血管,呼吸器が大きな4本柱となり,今では心大血管認定施設よりも呼吸器認定施設数が多くなっています。


工藤:いろいろなエポックがあったんだと思うでのすが,千住先生が長崎大学で国立大学では初めて理学療法学科の中に呼吸器領域の講座を作られましたよね。われわれが呼吸リハのことに関心をもったころ,呼吸器の先生で呼吸リハのトレーニングを受けた先生は非常に少なかった。


千住:そうですね,呼吸器講座をもつ大学は限られていました。卒前教育の中で教育されていないため臨床に出ても呼吸リハを志す理学療法士は少なかったと思います。


工藤:今は何人くらいいるんですか?


千住:今は増加しています。2017年で呼吸ケア・リハビリテーション学会の会員の内,理学療法士の会員は1,430人で総会員数の39%を占めています。3学会合同呼吸療法の認定理学療法士は13,123人(2018年)です。


工藤:呼吸ケア・リハビリテーション学会の人数としては2,000人くらいですか?


千住:もっと増えていますよ。3,638人です。


工藤:私がやっていたころはちょうど1,000人くらいでした。


千住:ここ十数年で呼吸リハへの関心は非常に高まっています。しかし,臨床現場では呼吸リハが普及していません。会員の声を聴いてみると,理学療法士は「医師が処方してくれない」,医師は,「理学療法士が手伝ってくれない」と言うんですね。呼吸リハを処方したい医師と理学療法士の間に乖離があるのが現状です。呼吸リハに関心のある理学療法士が所属する施設に,呼吸リハに興味がある医師がいないのでCOPD患者さんに呼吸リハが処方されていないのが現状だと思います。私が在職していた長崎大学においても,6年制の医学部教育でリハビリテーション講義は非常に少なく,医師の卒前教育で呼吸リハを学ばずに臨床現場に出るのではないでしょうか。複十字病院に赴任してCOPDと診断された患者さんが,CRPが正常になったとの理由で退院される患者さんが多く,呼吸リハを受けずに退院する患者さんが多くいました。しかし,ここ3年間でCOPDの患者さんの90%が入院中や外来でリハを行っています。長期に入院リハが必要な患者さんは地域包括ケア病棟を経由して,在宅に帰っていただいています。急性期から在宅までシームレスな呼吸リハサービスの提供ができるようになってきました。


工藤:昔をたどってみると,呼吸ケアリハについて関心をもっている医師は呼吸生理学から入っています。1960,70年代は日本は呼吸生理学の全盛期でした。生理学をやらないのは呼吸器科医ではないくらいの,やっていない人は肩身がせまいくらいの時代でした。そういう中で,ターゲットをCOPD,呼吸不全などに向けられたのは,非常に意味があると思っています。呼吸管理研究会設立には長野準先生,芳賀敏彦先生,岡安大仁先生がいらっしゃいました。呼吸リハは呼吸生理から始まったのだと思います。在宅酸素の流れの中で,われわれは一生懸命やってきたのですが,理学療法士の代わりを医者はできないですね。ようやく最近,理学療法士の人が前に出始めてきて,逆に医師が引っ込んでしまっているのかもしれない。両者のコラボレーションがまだ十分ではないのかもしれませんね。


千住:確かにそうかもしれませんね。最近,病院の経営などを考えるようになったので理解できるようになったのですが,医師が呼吸リハを細部にわたり評価,介入すると呼吸器診療に支障を来すと思います。医師,看護師,薬剤師,栄養士,理学療法士などが呼吸リハをチーム医療として行えば,医師の負担も軽減し,より質の高い医療の提供が可能となり,最終的には患者さんのメリットが多くなると考えています。そのようなモデルを作るのが今の私の夢です。


医師や看護師など多くの職員が「患者さんの立場に立ちそれぞれの専門職が働きやすい職場をどう作るか,それを考え実行する」ことだと思います。そのためには当然,理学療法士は呼吸管理のことを学ばなければなりませんし,医師も呼吸リハを学び,チームとして互いに支え合う取り組みができたらと思います。


工藤:伊藤直栄先生が,確か米国・クリーブランドから帰国されて,循環器のリハを勉強してもって来られました。米国では手術現場に理学療法士が入るんだよとおっしゃっていました。私は理学療法士というのは手術が終わって,急性期を乗り切って一般病棟に入り,退院する前に理学療法をすると思っていたのですが。


千住:そういう時代が確かにありました。脳卒中で倒れて,当時は画像診断などがない時代ですから早期に脳梗塞か脳出血か診断できないので,1カ月くらい経ってこれで安全だと確認し,リハが処方されていました。多くの患者が筋委縮や関節拘縮を起こしていました。そのような状態で理学療法を始めたので,非常に回復が遅れ,後遺症も残しました。今は倒れた翌日からリハをします。画像診断の技術が発達して脳梗塞か脳出血かわかるようになり,医学的に安全にリハができるようになりました。呼吸器分野も急性増悪後も早期に介入することでエビデンスが示されるようになりました。今はできるだけ寝かせないで,人工呼吸器をつけた段階から呼吸リハが開始されています。例えば長崎大学でも肺移植の翌日から患者さんはベッドサイドの立位訓練が開始されます。早期離床は患者さんの心肺機能の回復が早く合併症を起こさないというエビデンスが示されるようになり,今は早期介入,早期治療が原則で,特別な理由がなければできるだけ早く始めて活動性を高める介入をしています。過去の歴史の積み重ねで呼吸リハも進化しています。


工藤:そうですね。その辺に理学療法士の方がかかわる。理学療法士以外にも作業療法士,言語聴覚療法士などもいます。そういう方々がどんどんかかわるようになると,医師側にとってもなくてはならないパートナーになれば,すばらしいことだと思います。


(次号へ続く)