貫和敏博*
*東北大学名誉教授
[Essays] A tale of two domains: "breathing movement" and "gas-exchange/lung science"
- A personal history and the significance of breathing in the respiratory medicine
No 12-1: Paired signaling physiology, a novel frontier of human physiology.
Basic medical science and clinical application: (1) Mesoderm, Bilateria, and Molecular Biology of Fascia
*Professor Emeritus, Tohoku University
呼吸臨床 2020年4巻2号 論文No.e00095
Jpn Open J Respir Med 2020 Vo4. No.2 Article No.e00095
DOI: 10.24557/kokyurinsho.4.e00095
掲載日:2020年2月4日
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本連載は現在の西欧医学ではほとんど研究対象とはならない呼吸運動(あるいは「呼吸法」)の意義に関して,議論を展開している。
分子生物学を基礎に研究展開する貫和がなぜ「呼吸法」論を議論するのかは,本連載の第1回に記した通りである。人生のいろいろな局面で座禅,あるいは西野流呼吸法等と,呼吸運動の興味ある現象に接してきたからである。
一方で,「解体新書」以降,日本は西欧医学に接して250年近くになる。21世紀になり,西欧医学の進歩はmolecular biologyから遺伝子操作の時代に入っている。西洋医学は,疾患解明・治療を目的に,マクロ解剖学として,また疾患の現場である臓器中心に研究が進展した。さらに臓器を構成する単位としての細胞は顕微鏡の発明後,疾患病理解明の本道として20世紀に研究が進み,細胞内の蛋白質・酵素,そして遺伝子へとより詳細な研究がなされてきた。
今回,「呼吸法」論を初めてまとめ,こうした展開の西欧医学の欠落部に気づいた。
それは地球上生物(特に動物)としての進化を踏まえた,形態形成の身体論の欠落である。もちろんその方向の研究はなされているが,完成形としての構造に賦与されている機能が充分には理解されていない。臓器や細胞は重要であるが,それは個体のすべてではない。重力に拮抗し,移動運動をしているのはinfrastructureとしての身体構造であり,身体Somaに知恵(情報処理ができる)があるという実体(例えば偶蹄類の幼獣は出生後直ぐ起立し歩行する)である。
それがFascia膜系構造とmechano-sensing機構である。
ことに,呼吸運動のような進化的に数億年を経た機能は,単なる胸腔近傍の運動だけではなく,進化を包摂した全身のFascia膜系に結びついている。
すなわち「呼吸法」論を議論していくと,必然的にFascia膜系身体論となり,このFascia膜系が統合する情報処理の上に,どうやらmechano-sensingを介するsignalingとしてのnon-verbal communicationは成立している。第11回後半「推手」の項で説明した「聴勁」というSoma間のsensingとsignalingである。
少し考えても動物界にはnon-verbal communicationの広大な世界があり,そのごく一部で「言葉」という概念化神経回路機構が生まれた。ホモ・サピエンスでverbal communicationが進化したのは,自然界の希少例と理解すべきである。
本連載執筆開始当初は,ここまでのperspectiveはなかった。
しかし呼吸運動のjigsaw puzzleを解いていく連載過程で,徐々に深く大きな構造が見え始めた。こうした視点のもとに,歴史的に鍼灸等のアジア系医学を考えると,実は東洋系医学はこのinfrastructureである身体への経験蓄積医学といえる。
一方,呼吸法が西欧で発展しなかったのは,歴史的に一神教であるキリスト教,イスラム教のもとで,自分の身体をbody awarenessすることがなかったからでないのか(東洋における身体観としてのbody awarenessは,第11回前半で詳述した)? 今回(2019年),ドイツやスイスで呼吸法を指導し,こうしたbody awarenessの伝統や習慣の東西文化差を説明したところ,「その通り,キリスト教では肉体は罪(sin)の源だと教えられる」というコメントがあった(であるからYogaのようなbody awarenessの実践は西欧人には新鮮である。一方,聖歌やコーラン詠唱,最近500年前後の音楽発展等で呼吸運動自体は充分身についている)。改めて東西精神身体文化の差の深奥を覗いた思いであった。
今回は連載の最終回として,2000年以上の歴史を持つ「呼吸法」と,それと連動するinfrastructureとしての①Fascia膜系構造の進化・形態発生を踏まえた新規理解,②人体生理学上の新領域であるpaired signaling physiologyの基礎医学と臨床医学の研究展開に関して議論する。
基礎医学研究展開には2面ある。
一つは臨床医学に関連性が少なく,重視されない地球上動物進化の問題である。身体が左右相称(対称)性である動物(bilaterian)や,体軸,節,あるいは脊椎骨の意味に踏み込む視点である。我々は目の前にある完成された身体をgivenの前提で考えようとする。しかし身体を考えるヒントは実は進化や,胎児の形態形成にあるのではないか?
これは西野流呼吸法を習うと実感するが,自分の身体が相手のSignalingに反応するとき,何か旧い身体構造からの懐かしい感覚を意識する点を記しておく。
もう1つは,研究の遅れていたmechano-sensing受容体分子Piezo2や,Proprioception(深部固有知覚)の機構に関するものである。20世紀医学ではelusiveといわれてきたProprioception受容体である筋紡錘や皮下感覚受容器(メルケル小体等)には圧感受性イオンチャネル蛋白分子Piezoが同定され,DRG(後根神経節)を介する全身性圧知覚が注目されるようになっている。
臨床医学的側面では,本連載執筆の大きなdriving forceが,単なる身体論や武術にとどまらず,実はこの新たな生理学の「臨床」応用の可能性にある事は繰り返し述べてきた。
第10回では西野流呼吸法を取り上げ,「対気」における身体反応の現象を述べた。実際に経験しないと不可識領域であるが,相手からのsignalが自分の身体に衝撃として伝わり,しかもそれが爽快感をも帰結するという現象があるからである。「衝撃感」も「爽快感」も現行医学では説明できない。その起源はいったいどこにあるのか? こうした点を臨床医学として研究するには何を考えねばならないのか?
21世紀には世界の国々は間違いなく高齢社会化する。
病気ではない「老化」が進行する身体は主要臓器や,構成細胞の問題だけが重要ではない。抗重力構造であり身体のinfrastructureでunderwearであるFascia膜系や,「移動運動」制御としてのmechano-sensing系を,いかに管理し維持するか? 都市インフラ維持論同様に重要な課題である。
古代アジアがそうであったように,「呼吸法」の意義は,21世紀の世界的高齢化社会において,初めて大きな臨床的意味を持つと予想される。