今週のNature論文の紹介として取り上げた肺胞毛細血管Aerocyte同定の論文は,scRNAseqに導かれての「心の旅」のような論文だった。少し長くなるが,今回はこれを中心に紹介する。私が呼吸器を専攻したのは,師匠吉良枝郎先生との出会いにあった。自治医科大学呼吸器内科学に入局して,吉良先生の専門が肺循環であることを知った。「肺をめぐる水の問題」。およそ換気力学中心の当時の呼吸器学派とは違う肺の理解が,私の呼吸器出発点だった。学位としての課題は,すでに吉良教授によりモデルができていたイヌ片側肺オレイン酸肺障害モデルの生化学的解析であった。まさに障害対象の肺胞毛細血管がstart lineであった。I型肺胞上皮細胞(AT1細胞)と肺胞毛細血管は,なぜ基底膜1層で相接するのか? ガス交換上の理由は当然ながら,その形成機序は当時からの疑問であった。その解答として出されたのが今回のAerocyteという,AT1細胞同様特化した毛細血管内皮細胞である。
肺胞の発見はイタリアMalpighi Mによる(1689年)。また1960年代この肺胞を電顕写真で計測し,肺胞数が数億個であることを算出したのがスイスのWeibel ER(
Wiki)である。吉良先生から「WeibelはBibleといわれるんだ」と聞いていた。このNature論文のイントロは,この2人の引用から始まる。後年,東北大学加齢医学研究所に赴任し,計測病理の高橋徹教授に大変指導をいただいた。実はWeibel先生は度々仙台の高橋教授を訪れ,その会席に一度同席させていただいた。そうした縁で米国ATS学会でも声をかけられたが,確か2000年前後のフロリダの学会で,「私は日本車のプリウスに乗っている。君たちは日本人なのにあんなユニークな車にどうして乗らないのだ」と冗談半分叱られたことをエピソードとして記しておこう。奇しくも,Weibel先生も高橋先生も昨2019年2月に御逝去された。このAerocyte論文でいろいろとお話がしたかった。
•Nature
1)発生生物学
肺胞における毛細血管の細胞タイプの特化(Capillary cell-type specialization in the alveolus) |
前段で肺胞毛細血管の個人的な背景は述べた。Barcording技術をもとにscRNAseqが強力な方法論となり,その肺胞毛細血管にgCap(general capillary)細胞と,スイス・チーズのような穴あき構造のaCap(alveolar capillary,aerocyteと命名)が弁別同定された。論文は米国スタンフォード大学のグループからで,すでに肺胞上皮細胞に関しては,2014年に2論文を報告している(
リンク1,
リンク2)。本論文の投稿は2019年9月であるが,この間に同様細胞同定は米国MDアンダーソンのグループからDev Cell(
リンク)に,またNature in pressであるがbioRxivにヒト肺のmolecular cell atlasが論文報告されている(
リンク)。
基本的なscRNAseqの方法は先行論文(
リンク)参照である。著者らはこの内の肺脈管系tSNE(stochastic neighbor embedding)で肺胞毛細血管内皮細胞aCapを見事に分けてみせる(
Fig. 1b)。その遺伝子発現での特徴的な差を示したものがFig.1cとなる。この内Car4(Carbonic anhydrase 4,
Wiki)やEdnrb(Endothelin receptor type B,
Wiki)等はこの論文でもsmFISH(in situ hybridization,
リンク)で使われている。一方,2つの内皮細胞gCapとaCapで受容体/ligandの関係にあるAplnr/Apln(Apelin,
Wiki)は両細胞を染め分ける条件下遺伝子発現に使用されている(Fig.1.d,e)。両内皮細胞の割合は4:1で年齢によらない。
さて驚きはaCapの細胞形態である。かつて肺胞内腔から見た走査電顕として,何本かのソーセージ様の肺胞毛細血管像を見たが,その形態そのままのような不思議な形をした細胞である(
Fig. 2a,b,d,e)。したがって,aCapの細胞容積は,gCapがほぼ一定なのに比べ,かなりばらつきが大きい(Fig. 2c)。そして,ガス交換の場であるAT1(alveolar type 1)細胞とaCap細胞が裏打ちして形成するthin領域とthick領域(pericyteや間質細胞も含む)の差が見事に示されている(Fig. 2f~k,kのschemaを参照)。著者らはこのthin領域でのガス交換機能で,AT1細胞を裏打ちするものとしてaCapにaerocyteと命名をした。thin領域はaerocyteで占められ,逆に増殖機能を持つのがgCap(EdU+ラベルで追跡)である(Fig. 2n)。この点はelastase肺障害モデルで,時間経過とともにgCap由来細胞が増殖する事実で示している。
次にgCapとaerocyteの差を発現遺伝子の差としてそれらの機能推測をしている。Physiologyの差,Immune interactionsの差,Signalingの差などである(
Fig. 3)。gCapとaerocyteは相互にリガンド/受容体で影響しあっている。特徴的な点はaerocyteはleukocyte traffickingに関連し,またgCap細胞はvasomotor controlに関与する。その他凝固線溶系(SARS-CoV-2感染病態で注目)やlipid代謝系にも差がある。
最後にグループは,形態形成学的な観点や進化的観点からgCapとaerocyteの差を検討している(
Fig. 4)。胎児期ではplexusとして,bipotent progenitorが存在し,これらからalveolar capillariesが形成される。その際,gCapはself-renewalとともにaerocyteへのreprogrammingもある(Fig.4. f)。aerocyteはE17.5より見られ,出生後その容量は当然増加する(Fig. 4h)。こうした点は2020年の別の論文でも示されている(Dev Cell:前出参照,この論文ではCar4は上皮細胞由来VEGFのシグナルにより発現する。VEGFをKOすると正常な肺胞が形成されないという)。
一方,進化論的にはワニやカメなど爬虫類の肺胞毛細血管内皮細胞発現遺伝子を検討し,肺胞毛細血管内皮細胞には特化したものはなく,aerocyte等は哺乳類特異的らしいと示唆している。筆者は還暦の歳,キリマンジャロ登山でひどい低酸素血症を経験した。その時高空を飛行する鳥類の肺を調べたが,鳥の肺はparabronchiと呼ばれ,多数の気嚢からの空気が通過するのみである。しかし哺乳類は肺胞構造を持ち,そこではAT1細胞とaerocyteが裏打ちしている。すなわち哺乳類の肺胞は腹圧などで末梢気道がオープンであれば,diffusionでいくらでも酸素を取り込める。座禅の呼吸が1分間数回で可能な理由である。進化的には恐竜が跋扈する環境で息を殺して生き延びたか? 改めて哺乳類肺胞の細胞構造の意義を理解した。
著者らの検討はさらに広がる。ヒトのgCapとaerocyteとマウスのそれらとを比較している。哺乳類として発現差は保存されている遺伝子が多いようだが,逆転しているものや差の顕著なものもある(Fig. 4m〜o)。さらに腫瘍が形成されると肺の血管はどう変化するか? 腫瘍(adenocarcinaoma)の血管ではgCap,aerocyteで発現差がある遺伝子がco-expressされている(Fig. 4l)。
最近のNature論文はすべてがArticleであり,投稿から受理まで1年が普通である。それだけに本論文の研究内容は深く,scRNAseqが見出したgCapとaerocyteに関して,解剖学的形態,臓器発生,臓器進化,哺乳類種差あるいは腫瘍病態と多様な面から検討されている。呼吸器科医には必読の論文である。
TJH#10で紹介した気道の新規細胞ionocyteもscRNAseqによる同定である。肺にはもう新規細胞はないのだろうか?
•Science
1)Review
癌の物理特性(Physical traits of cancer)
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今週のNEJM論文で取り上げる臨床試験のように,腫瘍形成への根源的なDriver変異とその制御は肺癌では最近20年,めざましい臨床成績をもたらした。しかしその一方で,現在診断・治療が大変困難な癌である膵臓癌は,分子生物学的な研究が進みながらも,治療抵抗性である。
その理由はどこにあるのか?
それが今回のScienceのReviewである「癌の物理特性」を読んで示唆が与えられる。
筆者らはこの領域を牽引する,米国Boston,MGHのSteele実験室のグループである。実際に筆頭のNia HTらは膵臓癌PDCAでのSolid stressが75mmHg(10000Pa)と実測し報告している(
Nat Biomed Eng, 2016)。
しばらくの間,癌の遺伝子変異ばかり考えてきた頭を,再度こうした腫瘍組織の物理特性に立ち戻らせるため,著者らはその特性を4領域に分けている。①Solid stress(圧力と張力の増加),②Fluid pressure(間質リンパ液圧の上昇),③Stiffness(腫瘍組織間質素材の変化による硬度上昇),④Microarchitecture(微小細胞構成の特性の変化)である。
それぞれに重複はあるが(上記①から④の内容は当然相互に入り組んでいる),しかし全体としてよく書けている総説である。
Fig.2では癌組織のSchemaを思い浮かべながら,そこに惹起される現象がいかに①から④の物理特性に帰結するかを,絵解きでわかるように説明している。
Fig.3では,大きな1頁の図でそれらに関連する遺伝子群が,細胞膜,細胞質,そして核内移行よる遺伝子発現制御が細かく示されている。このうち重要なものがFAK(focal adhesion kinase)とYAP(Yes-associated protein)/TAZ(transcriptional coactivator with PDZ-binding motif)である。文献は150報の引用であり,新しいものが多く,この領域を新たに勉強しようとするなら最適の総説ではないか。
NEJM論文の紹介でも述べるが,こうした物理特性の理解は,単剤のみの効果より,治療薬剤のcombination療法として今後重要度が増すと考えられる。1つの例がEGFR-TKIと抗VEGF抗体併用の効果である(
Lancet Oncol, 2014)。この併用による治療効果増強の背景にあるtumor vessel normalizationによる効果(
Nature, 2017)で腫瘍血管にpericyte coverageが戻り,Th1系免疫も強化されることが判明している。
この例は腫瘍血管を中心とする戦略であるが,ここに示された4つの物理特性の多様な因子の抗体療法などが,現在の難治腫瘍治療に対して,近い将来非常に有効な戦略となりうるのでないだろうか。
•NEJM
1)肺癌
EGFR変異陽性 NSCLC に対するオシメルチニブによる術後補助療法(Osimertinib adjuvant therapy in EGFR-mutated NSCLC) |
肺癌の臨床試験に関わっての驚くべき認識は,使用した薬剤が未知の癌の生物学的特性を鮮明にする,reverse pharmacologyとでもいうべき結果に遭遇することがある点である。
最初はRasに並ぶ重要なDriver変異であることが明らかになったEGFR,L858R,Exon 19 delなどへのgefitinibの効果である(
NEJM 2004)。次にはEGFR阻害薬と抗VEGF抗体の併用効果であり,抗VEGF抗体の生物学的意味が示された(Science紹介参照)。それに次いで,今回の論文は,肺癌術後のOsimertinibのadjuvant効果が鮮明に示されている。この生物学的意義は何であるのか?
国際臨床試験はYale大学のHerbst RSを中心に,日本の国立がんセンター東病院グループも参加している。この論文はEditorialにも取り上げられ(
リンク),注目されるのは,独立データモニタリング委員会の審査の後,予定より2年早くunblindedされたと記されている。
ADAURAと命名された本試験は,EGFR変異陽性のStage IB~III患者で完全切除がなされた682例を1:1〔339名はOsimertinib(80 mg/day);343例はPlacebo〕に分けられた。Primary end pointであるStage II~IIIA症例では24カ月後,Osimertinib群で90%がdisease freeで生存,Placebo群では44%であった(p<0.001)。全患者に広げてもほぼ同様の結果が保たれている。細かく分けるとOsimertinib:Placeboの24カ月でのdisease freeの成績が,Stage IB(88%:71%),Stage II(91%:56%),Stage IIIA(88%:32%)でPlacebo群がStage進行による顕著な減少に比べ,Osimertinib服用群での成績の良好性が印象的だ(
Fig. 2)。
もう1点は脳転移再発の低さである。OsimertinibではCNS転移への有効性が知られていたが,実際に24カ月後のCNS disease freeはOsimertinib群で98%,プラセボ群で85%である(
Fig. 3)。
これら結果は,第3世代EGFR阻害剤Osimertinibの卓越した効果を示すものである。術後adjuvantとしては一般化学療法がなされた患者も含まれているが,結局Osimertinibの有意性が示されている。また従来のgefitinib,erlotinibによるEGFR変異陽性患者の術後adjuvant成績をより明瞭なものとした。
さらに今回の報告は中間報告であり,overall survival resultsはimmatureのままである。したがって患者/主治医はtrial-group assignmentは知らされないままでon goingであり,長期予後の成績が待たれるところである。
こうした切除可能例では,背景の非喫煙率が70%前後(ほぼ女性へと思われる)であるので,10%以上の症状を記したAdverse eventの表にはinterstitial lung diseaseはみられず,発症例はmild~moderateで,進行肺癌への投与患者に認められたような重篤例はみなかったという。
さて,この驚きの術後AdjuvantでのOsimertinib服用成績をどう解釈できるのか?
両群のEGFR変異の背景頻度は均等で,T790M変異は1%未満である。OsimertinibはL858R,Exon 19 Del以外に耐性T790M変異へも効果が知られていた。しかしIC 50は他EGFR阻害薬と変わらず10nM前後である(
リンク)。腫瘍細胞集団の中のT790M cloneを確実に制御することで,かくも大きな差が得られたのか? また逆に,臨床staging評価が実際に再発となる頻度もPlacebo群の結果から理解できる。
さらに長期予後が完治を意味するなら,それは微小転移巣の何を制御した結果であるのか? 例えば抗VEGF抗体を併用するとさらに完治例を増やすことができるのか? いずれも5年以上の長期経過追跡が必要であり,実際に試験として遂行するには工夫が必要であるだろう。
(貫和敏博)