•Nature
今週号ではイギリスの2つ研究チームからそれぞれ急性期と慢性期の肝障害の病態をシングルセルレベルで解明した内容が取りあげられた。
1)再生
ヒト肝臓再生メカニズムの多角的な解明(Multimodal decoding of human liver regeneration) |
まず,健常者9例,アセトアミノフェンによる薬剤性急性肝障害(APAP-ALF)10例,非肝炎ウイルス性の急性肝障害(NAE-ALF)12例でシングル核遺伝性発現解析を10X Chromium社のキットで実施し,一部の症例については空間トランスクリプトーム解析を同社のVisiumで実施して,オープンアクセスのデータベースを構築した(
リンク)。肝臓は中心静脈周辺から門脈周辺領域にかけて領域(zonation)に分かれるが,肝細胞の遺伝子発現プロファイルをシングル核遺伝性発現解析,空間トランスクリプトーム,1分子レベルのRNA局在を調べるin situ hybridization(smFiSH)で明らかにしたところ,zonationが崩れていることが明らかとなった(
Fig.1)。シングル核遺伝性発現解析を詳しく見ると,APAP-ALF,NAE-ALFの肝臓の壊死領域周辺には遊走性のANXA2陽性肝細胞が増加していることを発見し,その役割を調べるため,APAP-ALFのマウスモデルでも同等の細胞がいることを明らかにした(
Fig.2)。次に,壊死を起こした部位がどのようにして埋められるのかを調べるため,Ki67の発現を調べたところ,壊死が起きてから細胞増殖が起きるまでにはタイムラグがあることに気づいた。細胞増殖ではなくANXA2陽性肝細胞による遊走によって埋められるのかを証明するため,レポーターマウスを用いてマウスが生きた状態で
in vivo イメージングを行ったところ,壊死領域周囲のANXA2陽性肝細胞が遊走して穴埋めをすることを証明した(
Fig.3)。最後に肝細胞特異的に遺伝子送達できるAAV8を用いたAnxa2の
in vivoノックダウン実験も行い,Anxa2をノックダウンすると肝細胞の増殖や肝障害そのものには影響がなく,細胞の遊走性が損なわれることが明らかとなり,血球や間葉細胞への影響も認められなかったことから,APAP-ALFにおける肝障害の傷害修復には肝細胞の増殖ではなくANXA2を発現することによる肝細胞の遊走が効いていることがわかった(
Fig.4)。
ヒト慢性肝疾患における上皮可塑性の獲得(Acquisition of epithelial plasticity in human chronic liver disease) |
健常者4例,MASLD〔代謝機能障害関連脂肪肝疾患:以前は非アルコール性脂肪性肝疾患(NAFLD)と呼ばれた〕7例,MASH〔以前の非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)〕27例,肝硬変4例,末期MASLD 5例をリクルートして各段階の肝臓組織を用いてシングル核遺伝子発現解析を行ってデータベースを構築したところから始まっている。また,健常者の肝組織はZonationに基づいて中心静脈周辺領域と門脈周辺領域のそれぞれに特異的な遺伝子が発現しており,胆管が枝状に発達している様子が免疫染色でも明らかだが,末期状態ではリモデリングにより構造が改変され,肝細胞の結節周囲に胆管が取り巻くような「バスケット構造」が観察された。特に胆管に発現するKRT7と肝細胞に発現するMRP2が共陽性になっていることもわかった(
Fig.2)。snRNA-seqを詳しく見てみると,肝細胞として分類された中には胆管様肝細胞がいて,肝障害の段階ごとにみると,末期で優位に増加していた。また,末期MASLDの胆管様肝細胞には健常者の肝臓にはほとんど発現しないSOX4, KRT23等が発現することを見出した。次に研究者たちは末期MASLD患者から肝内胆管オルガノイド(ICOs)を作成し,ALBなどを発現する肝細胞様胆管細胞に分化することを確認した(
Fig.4)。分化制御因子を調べるため,PI3K-AKTシグナルに注目し,mTOR阻害薬やPI3K阻害薬やAKT阻害薬を加えると,肝細胞マーカーの発現を強く抑制することがわかり,mTOR活性化剤を加えると分化促進したことから,胆管細胞から肝細胞様胆管細胞に分化するにはmTOR-PI3K-AKT経路の活性化が重要なことを示唆された。この経路はインスリンで活性化することが知られており,MASLDではインスリン高値になることから,肝臓における肝細胞と胆管細胞の分化可塑性とインスリン抵抗性が関係する可能性について言及された。
いずれの研究も臨床検体から取得された膨大な量のデータをまとめ上げた内容だが,解析手法は呼吸器疾患の病態解析にも活かせそうな要素が多々含まれており今後の参考になりそうだ。
•Science
KRAS変異に対する分子標的薬は癌治療の歴史の中でもブレークスルーだが,治療効果が限定的で再発が多いことが問題となっている。このメカニズム解明に挑戦した内容で,米国ノースカロライナ大学から2報続けて報告された。
1)癌
KRAS変異癌におけるKRASおよびERK依存性の遺伝子発現の特徴(Defining the KRAS- and ERK-dependent transcriptome in KRAS-mutant cancers) |
まず,KRAS変異の膵管癌細胞8株を用いた
in vitro試験で,KRAS siRNAによるノックダウンの24時間後の遺伝子発現を示し,従来からある「KRAS変異Hallmark」の遺伝子群と重複しない遺伝子が多く変動することを示し,KRAS依存性に上昇(KRAS siRNAによるノックダウンで低下)する遺伝子群をPDAC KRAS UPとした(
概要図)。その後,KRAS(G12C)阻害でも膵管癌,大腸直腸癌,非小細胞肺癌の各細胞株に対して同様の遺伝子群が変動すること,
in vivo試験として細胞株移植(CDX)モデルに加え,患者由来癌細胞4症例分の患者腫瘍組織移植(PDX)モデルも用いてKRAS阻害薬投与24時間後のRNA-seq解析を行いPDAC KRAS UP遺伝子セットが想定通り顕著に抑制されることを示した。次にKRASシグナルの下流とされるRAF-MEK-ERKについて,細胞株における変異体の強制発現や各種阻害薬を用いた緻密な検討とCDX, PDXモデルを用いた
in vivo試験を行い,KRAS阻害とERK阻害による24時間後の遺伝子発現変動が類似しKRAS阻害の大部分がERK阻害とオーバーラップすることを明らかにした。次にERKシグナルによる遺伝子および蛋白質レベルでの発現変動を解析し,ERKが細胞周期の後期促進複合体(APC/C:
Wiki)が抑制し,標的蛋白質であるsecurinとcyclin B1/2の分解を経て,細胞周期が回りやすくなることを明らかにした。ERK阻害ではG1静止,APC/C阻害ではG2/M期の膵管癌細胞が増え,ERK阻害の上でAPC/Cも阻害するとアポトーシスを起こしやすくなることを明らかにした。KRAS阻害でも同様のことが起きることから,KRAS-ERKシグナルはAPC/Cを抑制することで細胞周期の回転に寄与することを明らかにした。次にERK阻害下で膵管癌細胞が生き残るために必須の遺伝子をCRISPRを用いてスクリーニングしたところ,MYCやJUNをはじめ,RAS-MAPKやPI3Kシグナル経路に関する遺伝子群やERK阻害薬への感受性を亢進させる遺伝子群が同定された。最後にERKシグナルで変動する遺伝子群が実際の癌患者の経過と関連するかどうかを生検組織で調べるため,ERK阻害薬(ulixertinib)のPhaseIbの治験の中で2週間の投薬前後に採取された7例のKRAS変異陽性膵管癌の検体を用いて評価した。Ulixertinibに反応してCA19-9が減少した3症例ではKRAS-ERKシグナルで特徴づけられる遺伝子群の発現は消失していた。また非小細胞肺癌や大腸直腸癌の生検組織についても,KRAS(G12C)阻害薬(adagrasib)を8日間の投与前後で調べたところ,腫瘍縮小効果が顕著だった2例とわずかに縮小した2例についてはKRAS-ERKシグナル遺伝子群の発現は抑制され,治療に反応しなかった6例はこれらの遺伝子群には変動は特に見られず,従来の「KRAS変異Hallmark」の遺伝子群よりもはっきりした治療効果との関連性が見出された。
KRAS変異癌の進行をもたらすERK制御性のリン酸化プロテオーム(Determining the ERK-regulated phosphoproteome driving KRAS-mutant cancer) |
上述の研究内容に関連して同じ研究チームからの続けての報告である。KRAS変異シグナルの大部分を占めることになるERKシグナルの全体像をつかむために膵管癌細胞についてERK阻害の1時間後と24時間後にリン酸化プロテオミクス(https://en.wikipedia.org/wiki/Phosphoproteomics )を実施したところ,全体の67%のリン酸化蛋白質は今までERKシグナルとの関連性が言われていなかった蛋白質で,予想以上に広範囲の蛋白質をリン酸化することがわかっただけでなく,1時間後と24時間後ではリン酸化を受ける蛋白質が大きく変動していたことを膨大な解析結果とともに報告している。
KRAS変異癌の細胞内シグナル伝達の研究は数多くなされてきたが,主にはKRASを発現しはじめて時間がたった後と比較しての遺伝子発現変化に焦点を当てられてきたため,従来報告された「KRAS変異Hallmark」の遺伝子群ではKRAS変異によるシグナル伝達が十分に反映されていないことを突いた研究となっている。膵管癌だけでなく,肺癌や大腸直腸癌におけるKRAS変異による細胞内シグナル伝達を考える際に有用な知見といえそうだ。ちょうど
AASJにも紹介された。
•NEJM
1)希少疾患
希少疾患を診断するための全ゲノムシーケンシング(Genome sequencing for diagnosing rare diseases) |
一般的に,遺伝学的検査に用いられるエクソームシーケンシングにはイントロンが読まれないことやエクソン内でも一部の領域についてはSNPや挿入・欠失変異の検出が難しい場合もあるといった限界があり,DNA配列のコピー数や繰り返し配列の検出などにおいても全ゲノムシーケンシングの方が検出力が高いとされてきた(
Fig.1)が,その一方で後者は解析にかかるコストや労力が大きいことが課題とされてきた。この研究では全ゲノムシーケンシングの意義を検討するために,家族発症の希少な単一遺伝子疾患が疑われて過去にエクソームシーケンシング等の遺伝学的検査がなされたが,分子診断がつかなかった場合に全ゲノムシーケンシングが有用かどうかを検証した研究でハーバード大学等が中心となって報告している。744家系で検討した結果を78家系からなるもう2つ目のコホートで検証した形で行われ,各コホートとも最終的に分子診断がついた家系のうち概ね3割が全ゲノムシーケンスを要し,その割合は両コホートとも全体の約8%を占め,エクソームシーケンシングや他の方法では見つけることのできなかった病原性バリアントが含まれていたという結果となっている。分子診断がついた症例の内訳は1つ目のコホートで診断がついた218家系の内訳の図がわかりやすい(Figure 3)。このうち157家系はエクソームシーケンシングでも判定しえたと判断され,61家系が全ゲノムシーシングでなければ診断がつかなかったと結論づけられた。過去のエクソームシーケンシングで診断できなかった理由についてまとめられており,ディープイントロンバリアントが原因だった家系が14家系,RNAシーケンシングが必要だった家系が8例含まれていた。
近年,希少疾患の治療薬開発はオーファンドラッグ指定などの優遇制度によって製薬企業でも開発が進められるようになり,有効な新薬の登場が期待され,層別化に欠かせない遺伝学的検査の需要も高まっていくだろう。全ゲノムシーケンスがコストも解析も含めて安価にできるものになれば,いつか電子カルテに取り込まれて,AIが治療方針を提案してくるような時代になるのかもしれない。
今週の写真: 嵐山の保津川で船に乗っていたら小舟の上で雅楽演奏会をやっているところに遭遇しました。 |
(後藤慎平)