呼吸臨床

【連載】呼吸との出会いと呼吸器との出会い:個人的履歴と呼吸器臨床における「呼吸」の意義


第2回 呼吸器との出会い

貫和敏博*


*東北大学名誉教授


[Essays] A tale of two domains: "breathing movement" and "gas-exchange/lung science" - A personal history and the significance of breathing in the respiratory medicine 

No 2: Encounter with respiratory medicine and unique mentors


Toshihiro Nukiwa*


*Professor Emeritus, Tohoku University


呼吸臨床 2017年1巻2号 論文No.e00029
Jpn Open J Respir Med 2017 Vol. 1 No. 2 Article No.e00029

DOI: 10.24557/kokyurinsho.1.e00029


掲載日:2017年11月30日


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(第1回はこちら


呼吸器との出会いとユニークな師匠との出会い

 臓器臨床から精神機能,小児臨床から高齢者臨床,社会医学から基礎医学,医工学まで,ざっと考えても医学を構成する専門分野は本当に幅広い。この中で自分の専門を選ぶということは,何らかの縁が付き纏う。言い換えれば,自分の専門は,よく考えれば必然ではなかったということがあり得ると思う。

 肺のガス交換・呼吸機能とその維持・防御を基礎生理とする呼吸器内科は,感染,炎症,腫瘍,環境・加齢性変化と幅広い領域をカバーする。私も経験あるが,初期研修中に指導医の読影する胸部X線写真は,視覚系情報として一見複雑そうで,魅力的でもある。皆さんは一体,呼吸器疾患診療のどの部分に惹かれたのだろうか? あるいはまったく別の理由で呼吸器を専攻したのだろうか?

 私は,以前にも記している[1]が,呼吸器との出会いは「従」である。「主」は師匠との出会いである。師匠の吉良枝郎教授の専門が呼吸器であるので,私は呼吸器を専攻することになった。今から40年前,「呼吸」との遭遇に遅れること10年,30歳のころである。

 2010年,岸本忠三先生の「どんな先生を選んだかで人生が決まる」[2]という小文を目にした。彼は山村雄一先生を選んで内科に入ったが,診療科で選んだのではないと述べておられる。現在の初期研修,専門医システムの中で,こうしたまず師を選ぶという立場は,少数派であろうと予想される。

 しかし「従」としての呼吸器専攻は,一体何か不利な面があるのだろうか? 私自身の経験では,当初はいろいろと苦労するが,それを克服する工夫もいろいろ考えた。反面,肺という臓器そのものを距離をおいて眺められ,長い目ではむしろ有利であったのではないかと思う。

 師匠の吉良教授も,循環器志望であったが,東京大学沖中内科に入局時,循環器の志望者はすでに足りていたので,教授から呼吸器を選ぶようにいわれたと聞いた。そうした経緯で,彼は肺循環という,通常の換気とは別のコンセプトで肺を研究した。現在の研修医には信じられない話でないだろうか。もちろん,ほかの医局の循環器グループに加わることも選択肢であったと思う。吉良先生が沖中内科を選んだのは,指導,研究環境という面もあったと推察される。実はそのスタートの指導環境の状況は,長い将来を考えるとき影響は大きいのだが,そうした点に気づかない人も多い。結局,自分の内にあるが自分では気付いていない素材を掘り起こしてくれる重要な要因は,所属するグループの教育環境である。さらにいえば知的ばかりでない,人間力的教育に触れるかどうかは,振り返ってみると,自分の経歴に大きな差をもたらしたと思われる。本田宗一郎的師匠との出会いは,重要な人生のイベントである。臨床医学の教育とは何か,医局への所属の可否損得が議論される若手医師の思考の中で,再考すべきことだ。

 私の呼吸器との出会いの不思議さはさらに続く。留学先の師匠である米国NIH,NHLBI,Pulmonary BranchのDr. Ronald G Crystalは,ペンシルベニア大学を卒業後,ボストンのMGHで研修し,Chief Residentを務めた。当時米国ではベトナム戦争が泥沼化し,優秀な医師の多くは政府の研究所であるMaryland州BethesdaのNIHに所属した時代である。

 Dr.CrystalはNHLBIのHematologyで研究を開始した。PubMedで800近い彼の論文データベースの初期は,PNASに続々報告したヘモグロビン合成である。その後,ことの詳細は十分に知らないが,NHLBIの当時のディレクターで初期の高脂血症分類で有名なDonald S Fredricksonに抜擢され,1970年代半ばよりPulmonary BranchのChiefとなった。当初は肺のコラーゲン合成を研究していたが,ReynoldsらによるBAL解析を大きく展開し,その後肺の分子生物学,遺伝子治療などに進んだ。この師匠からは,米国における学術研究の考え方,英文論文執筆の実際などとともに,肺の生化学,感染防御領域,また炎症肺の場である肺胞腔という点から肺という臓器を考えることを学んだ。

 こうして改めてたどると,肺という臓器でありながら,通常の換気,あるいは病理像という理解とは異なり,肺循環,肺胞腔病態,分子生物学を考えるという,おそらく呼吸器科医としては世界的にも少数派のperspectiveを,そもそも専門性の最初からもったことになる。今日においても肺という臓器の捉え方が,多くの呼吸器科の先生方とは異なっていることを自覚する。それは肺とその疾患を考えるうえで,むしろプラスに作用しているとも感じている。もちろん,自治医科大学呼吸器内科では肺機能は当然理解すべき常識であったし,東北大学においても医局全員でJB Westの肺機能教科書を継続して学習した。それはfundamentalsとしての理解であり,病棟は感染,炎症,COPD,腫瘍などall-roundの呼吸器症例が入院し,chart roundあるいはsummary会で,かなり密度の濃い学習をした事は,他書に記したとおりである[1]。

 以上に述べた直接の師匠としての指導ではなかったが,東北大学加齢医学研究所に赴任し,肺の形態・病理像に関しては,加齢医学研究所病理学の高橋徹教授,また彼を師とする海老名雅仁教授らに,3D的肺構造の理解や肺の脈管系理解に関して,いろいろ教えていただいた。高橋先生は,師匠である諏訪紀夫東北大学名誉教授の計測病理の手法を展開され,単なる記述病理にとどまらず,計測,統計を使って病変を評価される。肺の複雑な血管系は,肝臓の血管系にanalogousであるなど,斬新なperspectiveを教えていただいた[3]。こうした病理像の理解は,現在の米国学派による線維化肺の病理像理解とは異なり,今後病理画像処理のcomputerizationが進む先駆け的見解であり,私自身,肺という臓器理解の概念の1つになっている。