貫和敏博*
*東北大学名誉教授
[Essays] A tale of two domains: "breathing movement" and "gas-exchange/lung science" - A personal history and the significance of breathing in the respiratory medicine
No 3: Breathing movement as a crossing area of soma and lung
Toshihiro Nukiwa*
*Professor Emeritus, Tohoku University
呼吸臨床 2018年2巻1号 論文No.e00037
Jpn Open J Respir Med 2018 Vo2. No. 1 Article No.e00037
DOI: 10.24557/kokyurinsho.2.e00037
掲載日:2018年1月26日
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(第2回はこちら)
今回の一連の執筆のテーマは「呼吸」である。「呼吸器」と「呼吸」。前2回では,筆者とこれらの邂逅を述べた。一見概念的に近い印象を与えながら,実は大きな違いを「呼吸」という言葉は背景にもっている。それは「呼吸」が身体運動という点で,全身に関わる現象であるのだが,その全身という概念が,実は現代医学からは抜け落ちている。今回は最近になり自分ながらに概念の形成ができつつある,この肺と全身という2領域とその交差領域としての「呼吸」運動,およびその向こう側の領域に関してまず概述してみよう。それはSomaの話である。
肺という臓器を場とする呼吸器疾患に,専門として対応する呼吸科医の先生方は,「呼吸」という領域は,当然自分が専門とする領域だ,と漠然と考えているだろう。しかし,この領域はそんなに単純なものではない事を,呼吸器科医の傍らで,50年にわたり「呼吸」を考え,実践してきた筆者は実感している。人類が「呼吸」運動と健康法の繋がりに気付いたのは2000年以上も前の古い事柄だ。一方,「呼吸器」である肺の研究は最近500年程度の歴史しかない。
それは日本人にとっては予想外であった,2017年ノーベル文学賞受賞カズオ・イシグロ氏の2015年の小説「忘れられた巨人(The Buried Giant)」[1]に相当するような(彼の意図する意味とは別だが),普段は意識には上がらないが,生きていく背景の中で常にくすぶっている,とんでもない領域が存在するのである。医学の立場からは「The Buried Medicine」といっていいものかもしれない。
第1回で述べた座禅に次いで,私は40歳の頃から30年近く,「呼吸」が前面に出る西野流呼吸法を習い,実践してきた。身体反応としての興味ある,しかも現代医学で説明できない現象を体験しながら,どういう理論体系にこれを収束すればいいのか? その落ち着くところが定まらず,執筆をためらってきたものである。ここ数年,それがようやく自分の中で納得いく状況に近づいている。それは西欧医学では欠落した身体理解への新たな動きが,ようやく多方面で始まっているのを認識するからである。
今回から数回にわたって,この「呼吸」という運動が関与する領域を考えながら紹介していくことにする。それは日本語での適切な訳語はないが,欧米では「Soma(=広く発生・解剖学的概念を取り入れたBodyの意味),The whole axial portion of an animal, including the head, neck, trunk, and tail.(Wiktionary)」と使われ始めた領域の話である。そしてSomaの世界は,単なる知識でなく,自身による体得が必要な領域である。