貫和敏博*
*東北大学名誉教授
[Essays] A tale of two domains: "breathing movement" and "gas-exchange/lung science"
- A personal history and the significance of breathing in the respiratory medicine
No 10-1: Everything starts from a bombardment sense in the deep body: the Nishino Breathing Method (3)
Taiki –Paired active expiration breathing, Connected-fascia sense, and Mirroring interoception
Toshihiro Nukiwa*
*Professor Emeritus, Tohoku University
呼吸臨床 2019年3巻5号 論文No.e00088
Jpn Open J Respir Med 2019 Vo3. No.5 Article No.e00088
DOI: 10.24557/kokyurinsho.3.e00088
掲載日:2019年5月24日
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「呼吸と呼吸器」の連載は今回で10回目になる。
ほとんどの呼吸器科医読者は肺の関与する「呼吸器疾患」には関心があるが,「呼吸」運動には通常関心などない。まともな英文論文を発表している貫和が,なぜこんな領域に関心が持続するのかわからないといわれる。またMolecular Biologyに関心のある貫和が,なぜ呼吸法なのかともいわれる。実際「呼吸臨床」にも「ほぼ週刊Top Journal Hack」でNature,Science,NEJMの論文から臨床的,呼吸器臨床としての関心をひくものを,分担して紹介している。
私にとって呼吸法は,それと同程度に面白いと説明しても,誰も理解してくれない。
筆者の関心が持続するのは,「呼吸」運動という領域が臨床として大きな可能性を秘めると考えているからである。それは身体(Soma)の理解,Somaに働く呼吸運動の意味,そして呼吸運動が相手と相互に交感するpaired physiologyという新たな領域が想定できるからである。
この呼吸が関連する諸々の事象は決して新しい事象ではない。
「呼吸」は2000年以上アジアを中心に修練されてきた。また現在でも,東洋系武道においては,太極拳,合気道などは,実は筋肉以外の呼吸運動が関与する身体能力であるpaired physiologyの実際として修練されてきたものであるともいえる。
そうした「生命誌」を包含する身体(Soma)が,非常にsimpleで手身近な稽古で習得できる。そのMethodsの凄さが西野流呼吸法である。
東北大学に赴任した1993年,看護サイドから関心が示され,東北大学加齢医学研究所で細々と稽古を始めた。医学部であるから,関心ある人も増えるとかと期待したが,これは「常識」の壁があり,外れた。
しかし西野流呼吸法に医学的知識など関係なく,健康関連の稽古として参加された,一般の仙台市民の関心は持続している。常時15~25名で毎週1回,もう1,000回を越えて練習し,参加者数は優に200名前後になる(加えて,病棟実習医学部学生の参加者は500名以上)(図1)。
図1 東北大学医学部で25年続いた西野流呼吸法の稽古風景
当初は医学部内の参加者を期待して始めたサークル活動的呼吸法の稽古である。残念ながら「常識」の壁は厚く,医師,看護師サイドからの参加は少なかった。しかし,口コミによる仙台市民,また病棟実習医学生の一部も参加し,25年間1,000回以上の稽古を継続できた。このグループ活動を通して,「筆者自身が体感する実態は何か?」この連載にまとめているjigsaw puzzleを解く「実験」をしてきたことになる。稽古に参加下さった皆様には心より感謝している。2019年1月より,大学を離れ,仙台駅ビルの河北TBCカルチャーセンターで西野流呼吸法を開講した。さらにこの現象を考え続けたい。
なぜ一般市民のみなさんは稽古が続くのだろうか?
それは実感として「身体にいい」とわかるからではないか? こうした数千年の東洋伝統の知恵を身に付けるには,武道系などでは肉体的強靭さが基礎として必要であるが,西野流呼吸法は第8,9回で解説したように,そうした過酷な訓練とは無縁である。
そして習得とともに自分のSomaが変化していく。身体や感性が変化するという実感は持続して初めて理解できるものである。
私自身が西野流呼吸法の臨床的な展開の意義を考え続けられるのは,こうして25年間,不思議なjigsaw puzzleを解きながら,一緒に稽古を続けてくださった仙台市民のお蔭である。
「手を接するだけで人が飛ぶ」,「気で人が飛ぶ」。今から30年前(丁度,平成が始まった頃)テレビのトーク・ショー番組ではセンセーショナルなレポートがなされていた。
それが西野流呼吸法「対気」である。
しかしその現象を現代の医学ではまだ説明できない。
人々は,世の中の現象は必ず説明できるものだと思いこんでいる。しかし冷静に考えれば,世の中には実際に体験し,稽古しないとわからないものが数多ある事はすぐ気がつく。それは身体(Soma)が関与する世界であり,実践しないと始まらない世界である。実際に座禅をせず,「座禅は安楽の法門」などという言葉は理解できるはずがない。
しかしそういう人々も,1週間ではピアノを弾いたり,バイオリンを奏でることができないのはよく知っている。それが頭(記憶知)ではない身体(体験知)の世界であることもよく知っている。時間をかけると身に付くことも承知はしている。
「人が飛ぶ」という事実は確かに衝撃的であるが,一方冷静になると,西野流呼吸法が成立過程で関連した合気道や中国拳法には,不思議な現象はいくらでもある。昨今視覚的訴えとしてYouTubeにUPされているこうした動画は,数千という数をはるかに越えている。中には100万回以上再生されているものもある。合気道のもとになる大東流合気柔術は明治時代に始まり,合気道は戦後それから独立し,しかも時期的に海外に広がりえたので,その愛好者の数は国内外100万人以上といわれている。
不思議なpaired physiologyの実際は,実はいたる所に存在する。しかし関心のない一般の人々は,新規の生理学など想像もせず,そんなものかと思うだけである。
第10回で取り上げる西野流呼吸法「対気」では,こうした立場から,われわれの身体Somaと呼吸,ことにpaired physiologyとして相互交感ができるという臨床的側面を議論したい。それはアジア発でありながら,遅れてきた西洋医学との邂逅である。