このTJHは,呼吸器臨床を中心にして,広く臨床関連の,しかも少し基礎的なトップジャーナル掲載論文を紹介している。
しかし21世紀も四半世紀を過ぎる現在,生命科学も大きく様変わりしている。大きな要素はコンピュータ連携による発現遺伝子数理系処理が可能になった点である。
筆者自身は大学退職,そして70歳以降,長らくバックグラウンドで実践してきた呼吸法の生理学的意義を「宿題」として探索している。2020年以降,呼吸法の意義は進化の旧い身体機構に関連すると気づいた。必然的に脳科学に関心が高まる。
こうした背景で,呼吸器には少し縁遠いが,今回も心臓迷走神経・失神また,23年10月半ばに特集のBICCN,脳という未踏領域初めての統括的3D遺伝子発現地図の探索的論文等を紹介する。
•Nature
1)神経科学
迷走神経感覚ニューロンはベゾルト・ヤーリッシュ反射を媒介し失神を誘発する(Vagal sensory neurons mediate the Bezold–Jarisch reflex and induce syncope) |
臨床医として,迷走神経刺激により失神発作をきたす現象の存在は,もちろん理解している。本論文はその機序の詳細をマウスモデルで解明したものであり,scRNAseq,optogenetics技術,逆行性神経線維追跡など,近年の新規技術が使用されている。呼吸器専門としては驚きであり,臨床的にも知っておくべき病態モデルとして紹介する。研究は米国UCSDやScripps研究所などからの報告である。
まずBezold-Jarish reflex(BJR)の復習から。1867年に報告された本反射は,迷走系感覚神経(vagal sensory neuron: VSN)への過剰刺激で惹起される心臓抑制性反射で,徐脈や全身性低血圧,さらには失神が一過性に見られるが速やかに回復する。
一体いかにして迷走神経のような複雑な系を解析するのか?
研究者たちは2020年の先行する呼吸器関連喉頭部上皮のP2RY1神経の解析(
リンク)でのscRNAseq dataをGEO(GSE145216)から利用する。これは40匹のC57BL/6JマウスからNJP(nodose/jugular/petrosal)superganglionを集め,神経細胞を分けて所定の10X Genomics社のプロトコールでclusteringしている(
リンク)。
このデータのうち,baroreceptor系のPIEZO2とはっきり区別できる心室壁に分布するVSNとしてNPY2Rに着目した。NPY2Rはneuropeptide Y(
Wiki英語版)の受容体である。この詳細を確認するため,NPY2R-Cre遺伝子改変マウスの両側NJP gangliaに,AAV.PHP.S-DIO-gCOMETなどの逆行性神経線維染色試薬を注入し,一方で中枢の弧束核(nucleus tractus solitarius:NTS)のAP(area postrema)での染色,他方でマウス心室でのNPY2R染色を見ている(
Fig.1a,b,d,e:eでは肺に分布するNTSをd-Tomatoで染めて比較説明)。そしてoptogeneticsの設定として,このAPにoptic fiberを設置する(Fig.1k,i)。optogeneticsの処置はdiode laser(462nm)で,照射は5,10,20Hz刺激で反応を見ている。これをvNAS(vagal NPY2R to AP stimulation)と略す。
以上が理解できれば,NPY2R-channel rhodopsin(ChR2)遺伝子改変マウスを使っての実データとなる。
Fig.2では循環機能全般のデータが示されている。AP領域へのoptogenetic刺激に応じて,HR低下,血圧低下,一過性の呼吸数低下とリバウンドなどが示されている。ビデオでも見ることができる(リンクSupplementary Video 2)。
Fig.3では最近のNeuropixels(約1000神経細胞の活動を同時に計測できる端子)。この電極で迷走神経系APへの刺激が広範な脳機能低下や,瞳孔変化等に影響することを詳細に記録している。Fig.4では抗コリン作用のアトロピンによるBJR時の循環呼吸生理への諸修飾を示している。Fig.5ではNPY2R VSNがBJR特異でbaro reflexとは別のものであることを,非常にクリアに示す。
以上, 臨床的によく知られた迷走神経刺激による循環器生理と失神の機序をマウスモデルで詳細に解析している。この研究基礎であるscRNAseqのGEOデータの再利用,optogenetics使用するためのNPY2R特異ChR2遺伝子改変マウスの使用,マウスを対象とした各種装置がupdateされているなど,全くの驚きである。2020年のCell論文によるGEOにはまだまだ未知の自律神経・副交感神経系遺伝子が把握されている。21世紀になりようやく自律神経系の正確な理解が可能になってゆく。
•Science
1)脳科学
成人の脳全体にわたる細胞型のトランスクリプトームの多様性(Transcriptomic diversity of cell types across the adult human brain) |
2013年,BRAIN(The Brain Research Through Advancing Innovative Neurotechnologies) Initiativeがスタートし,先のNature論文のようなoptogenetics,あるいは逆行性神経線維染色などに加え,最近はscRNAseqも大きな研究領域として脳科学を推進している。
そんな中,先行するマウスでの成功の下,包括的な3Dの脳細胞アトラスを作成することを目的に,2017年Brain Initiative Cell Census Network(BICCN)(
リンク)が始まり,その成果が,23年10月にScience系3誌に,計21本に及ぶ報告が特集として掲載されている。
マーモセットからヒトまで脳の進化的解析,また胎児から誕生後,さらに成人への時系列解析等と,この5年間の驚くべき成果が並び,タイトルを見るだけでも年甲斐もなくワクワクする。なおBICCN全体像のPerspective論文は
リンク。
前置きが長くなったが,ここに紹介するのはヒト成人脳を,Allen Brain Atlas(
リンク,論文
リンク)に従って,約100カ所に分け検体を準備,single nuclear RNAseqとして解析論文である。Karolinska研究所と米国の研究者からの報告である。まさに20世紀の電気生理学的アプローチによる脳科学から,21世紀になりようやく全体像としての未踏1000億細胞の脳システムの粗地図作製報告というべきものである。
解析検体は,2018年から22年の間の,諸基準を満たした16名の全脳のうち,感染症などQC基準をクリアした3例(全例男性)である。冠状(前額)断脳スラブを1cm間隔で切断し,ドライアイス/イソペンタンで凍結,−80℃に保管。サンプリングは一時的に−20℃に戻し施行。核の単離,RNA回収,QCチェック等10X Genomicsのプロトコールで実施。集められた核酸配列もQCされClusteringしたというのが概略である(今回はドナー間の脳領域を正確には分けていないようなので,その結果は曖昧さを含む粗マッピングとなっている)。
Fig.1には全体的なクラスタリングが述べられている。Super clusterが31,Cluster 461,Subcluster 3313個という。Fig.1Aは全337万細胞を集めたマクロ脳解剖が示されている。Fig.1Bにはまず注目される,31種のSuper clusterが示されている。B図の左下点線のさらに下方には non-neuron細胞のグリア系細胞等がClusteringされている。C図は各マクロ脳領域に見られるSuper cluster群でピンク,深緑等はB図の大脳皮質に関するclusterである。D図はClusterを形成するもとの神経細胞群の数でSubclusterの数十個レベルは,機能の違う神経核の細胞集団を意味するのか。
しげしげ見て驚くのは
Fig.2Aである。縦軸はFig.1BのSuper cluster,横軸はAllen脳アトラスによる脳の位置で右上に該当領域が色で示されている。左上青色が大脳皮質領域神経細胞のCluster,右方向へ海馬,大脳核,視床下部,視床におけるCluster群となる。これらの個々に関して,説明はあるが省略する。
Fig.2Aで驚くのはそうした解剖学的位置としてはかなり広汎に分布するSplatter super clusterである。これに関してはFig.3で詳細に論じてある。
「神経細胞の多様性は終脳以外の領域で見られる」とのサブタイトルの下,
Fig.3ではSplatter super clusterに関して述べている。これは中脳,後脳,視床下部の不均一なneuron群から形成されている。終脳(大脳皮質が主体)以外ということは,進化的に古い保存された部分を意味し,大変興味あるsuper clusterである。
Fig.3Aに見るように,Splatterはさらに92のclusterを含み,それらがさらに1145個のsubclusterに分かれるという。この部分の詳細な方法論記載内容は十分に理解できなかった。
しかしSerotonin作動性マーカー(FEV,SLC6A4等)による同定,あるいはDopamine作動性マーカー(TH,SLC6A3,DDC等)による同定も記述されている。さらに興味を引くのは,Dopamine作動性とGABA作動性マーカーを共発現するクラスターに関しても述べられていて,in situ hybridizationと合わせ,今後の研究展開が注目される。
神経細胞以外ではGlia細胞系としてOligodendrocyte lineageのOLIGO,COP,OPCなどにclusterされている(Fig.4)。一方Astrocyteでは,13 clusterを認め,脳領域に関連したcluster分布が示されている(Fig.5)。
以上,今回のBICCN特集論文のうち,新たな方法論がいかに強力かを示すものとして,ヒト脳のsnRNAseqによる遺伝子発現3D脳マップを紹介した。先行するマウス脳での成功に次ぐ,初段階の試行論文である。scRNAseqによるt-SNE図が理解できる皆さんは,Fig.1〜3に圧倒されるのではないか?
脳科学が専門外である筆者の私見として,以下の点を列挙したい:
1)21世紀脳研究として,20世紀電気生理学的な手技とは全く別の研究手段による,新規解釈の時代が到来したことが理解できる。
2)哺乳類で大進化した大脳皮質領域とはclusteringが別の,おそらく進化的背景の旧い,大脳基底核,中脳領域の明確な差が,遺伝子発現3D clusterで示された。
3)遺伝子発現cluster解析による利点は,homologue遺伝子による中枢神経系形成の進化をたどれる点である。
実は本年8月,「三位一体脳」を提唱して批判の多かったMacLean PDの本(The Triune Brain in Evolution: Role in Paleocerebral Functions)を読んだ。1970~1990年にかけ彼が述べてきた進化の古い,当然20世紀実験手技では研究不十分であった領域に,ようやくアクセスが可能となったと,感慨をもつ。一方でこうした脳3D神経核情報は,今回紹介のNature論文や以前
TJH#244で紹介したマウス脳における神経核での遺伝子改変実験による研究展開で,脳研究に全く新たな時代をもたらすであろう。
ある意味GPUによるNeural NetworkとしてのAI/LLMなど人工知能研究が進む中,大脳皮質とは異なるSplatter cluster等のnon-verbal神経情報(感情中枢等)解析こそが,次の脳科学研究として新規ターゲットである。
•NEJM
1)臨床試験
IgA腎症患者を対象としたシベプレンリマブの第2相試験(A phase 2 trial of sibeprenlimab in patients with IgA nephropathy) |
NEJM掲載論文は内科他領域の新規展開を知る上で非常に有効である。今週号にはIgA腎症というよく知られた疾患(世界的に腎炎として最も高頻度で,その30%が将来的に腎不全となる)への抗体療法が非常に有効であることを知り,驚いたので紹介したい。
IgA腎症そのものは,急性扁桃炎などを契機にgalactose-deficient IgA1(Gd-IgA1)産生,さらにこの糖鎖関連部への自己抗体を誘発し,その複合体が血流から腎臓メサンギウムに沈着する(
リンク:ウィキペディア英語版の動画解説がわかりやすい)。このときのGd-IgA1産生に関与するのがAPRIL(A Proliferating Inducing Ligand)で,B細胞のIgA産生細胞へのクラススイッチに関与する(TNF ligand superfamilyでTNFSF13とも呼ぶ)機能である。
したがって,このAPRIL中和抗体でAPRIL量を低下させれば,Gd-IgA1とその自己抗体複合体による腎臓メサンギウム沈着を減少させ,腎障害を改善する可能性がある。一方,ほぼ同時期にAPRILは分類不能型免疫不全症(CVID:common variable immunodeficiency)の原因遺伝子の1つとしても同定されている(
リンク)。
Visterra社(大塚製薬の米国子会社の子会社:
リンク)は,このAPRILヒト化抗体(Sibeprenlimab)を用いた第II相臨床試験(NCT04287985)で非常に明快な成績を示したものである。
試験は多施設,double blind,randomised,placebo controlled試験で,155例(biopsy confirmed,eGFR
>30mL/min/1.73m
2 BSA)を,Sibeprenlimab 2mg/kg 月1回静注(n=38),同 4mg/kg(n=41),同 8mg/kg(n=38),placebo(n=38)で行い,主評価項目の12カ月後のuPCR(尿蛋白/クレアチニン比)のベースラインからの変化,副次評価項目のeGFR(推算糸球体濾過率)ともに顕著な有意差を示した(
Fig.1)。また実際のGd-IgA1レベルも,APRILレベルもSibeprenlimabで抑えられている(
Fig.2)。問題はAdverse events,ことにCVIDにも関連するので,感染症が案じられる。しかし熱発,また本臨床試験期に重なったCovid-19感染などではplaceboとの差はなく,明らかなAEは認められなかった(Table.3)。
IgA腎症の患者は世界的に多く,将来的なCKDへの移行も問題となる中,降圧剤使用程度の対応で特異的な治療手段がなかった。本成績を受け,すでに第III相臨床試験(NCT05248646)が開始されている。またAPRILが関与する他疾患への応用(妄想?肺胞蛋白症の自己抗体産生に関与するものは?)等,今後の推移に大きな関心がもたれる。
今週の写真:東京国立博物館庭園 もう何10回も訪れた東博だが,横尾忠則「寒山百得」で初めて庭園開放に気付いた。江戸の上野の森がそのまま残る風情。 |
(貫和敏博)